ブルースの旅

ひできさんが珍しくブルースの話を投稿していたので、思わず大好きなブルースに興奮して、昔のメモ書きで投稿してしまいました。殆どがアメリカに駐在していた時(1987年5月-1989年6月)にした旅です。
(文章がおかしいのは後で直そう)

デルタ・ブルース・フェスティバル(1988年8月か9月?)

もともとブルースが大好きで、日本のブルース雑誌、ザ・ブルース、現在のブラック・ミュージックレビューを作った日暮さんのミシシッピー川沿いをブルースの旅する本に憧れていた。AAAのミシシッピー州の観光本を読んでいると、デルタブルースフェスティバルのことが書いてある。グリーンビルという町での開催元などの情報。電話して情報を送ってもらう。仕事と重なって行けるかどうかだったが、直前に行くことを決断。その町中のホテルに電話したが、どこも予約で一杯。そんなに混んでいるのかと思ったが、出発してしまった。その年の最大のハリケーンが来ていたのに、フロリダの方だけとの情報で、車で出掛けた。金曜日の夕方に出発したのだと思う。ナッシュビル郊外で一泊。翌日10時頃にメンフィス方面へ出発。少し雨。1時間ほどで大降りの雨から、前10メーターも見えない程の激しい雨に変わった。もうだめだと思ったがどうしようもない。取りあえずメンフィスまで行かないとホテルもない。

メンフィスにやっと夕方に到着。雨はあがった。ビールストリートの観光局でホテルを紹介してもらう。ここにいたオバサンがブルース好きで、ブルースの話になる。その日の現地の朝刊に出たミシシッピーあたりでのブルースフェスティバルの特集の記事のコピーを貰う。ビールストリートはブルースで売っている通り。ホテルチェックイン後に夕食がてらぶらぶら。観光の場所が幾つかある。ブルースライブの店に入る。観光的なブルース。つまみのキャット・フィッシュの唐揚げが美味しかった。通りの端の小さな広場で黒人のお爺さんがギター片手にブルースを歌っている。下手な歌で、これぞブルースと良い感じ。

翌日、雨は降っていない。行けば何とかなるだろうと、グリーンビルへ向けて出発。目的地が近づくにしたがって、道路の両脇が真っ白な綿畑に。風に飛ばされた綿花が白い花のように乱れ飛んでいる。綺麗だ。どんどん行くと、いかにもブルースの映画にでも出てくるような田舎道になる。

グリーンビルに着いて、ガソリンスタンドで給油してくれてた白人の悪そうなガキにブルースフェスティバルはどこと聞いたが、何だそれ、しらねえとつれない返事。現地の白人には全く無視されている様子。空室ありのモーテルでチェックイン。やっとこさ到着したフェスティバル会場は、畑道を走った遥か遠く。暑い暑い田んぼの中でロックがかったブルースを演奏していた。今の本当のブルースはこんなのかなと思いながら聞いた。演奏そのものは楽しめなかったが、雰囲気は非常に良かった。

泊まったモーテルは監獄のようであった。ジム・ジャームッシュの映画に出てくるモーテルまたは監獄と一緒だ。小さな窓が部屋の上の方にある。水はぬるぬとして、石鹸が泡立たない。タオルはシーツの様に薄くて、水を吸い取ってくれない。一泊19ドルだか29ドルだった。私が泊まった中で一番安い。しかし翌朝チェックアウトする時に黒人のオバサンがオフィースの人と、高い負けろと言い争っている。何だか本当にデルタに来たなと実感できるモーテルだった。

帰りは日暮さんの本にも出ていたルート61を北上。昔のブルースのレコードジャケットに書いてあった町の名前が沢山ある。最後はクラークスデイルに到着。ブルース博物館があると聞いていたので、聞いて聞いて聞き回ってやっと辿り着いたのは図書館の中にあるブルース博物館だった。しかし残念、日曜日で休み。入り口のドアのガラスの部分から中を見ただけで帰って来た。

帰りは、そのままメンフィスを抜けて、ケンタッキー州を西から東に回るケンタキー・パークウェイを走るが、夜になってしまい途中泊。真っ暗な中を走れないので適当なモーテルに部屋を借りるが、ドアがロック出来ない。仕方ないかと思いつつ、食事に出て、別なモーテルを探し当て、ここに泊まる。翌朝、ここは美しい湖の湖畔と判明。ピクニック気分で少々遊んで、帰路に着く。


セントルイス・ブルース・フェスティバル(1988年10月?)

10月だと思う、前回のメンフィスでもらった、ブルースフェスティバルの新聞記事に載っていたブルース・フェスティバルでセントルイスへ。車で西へ7時間かかった。初めは良かったが、夕方になった到着直前は西へ向かって走っていて、西日をもろに貰っての運転で大変だった。ホテルは川沿いだった。通りをはさんだ直ぐ前がブルースフェスティバル会場のライブハウスだ。大きなライブバーという感じで、後ろにいれば子供がいても気にならない。もう覚えていないが、いくつかのバンドが演奏した。一番後ろの客席でビールを持ってうろうろしてる気になる人がいた。そのうちにこの人がステージで演奏を初めて、中々の演奏だった。面白いフェスティバルだった。

ここだけでなく、Foxシアターという車で少々走った所でもコンサートがあり、昔の大金持が作ったという感じの豪華絢爛という会場だった。レイ・チャールズ、アルバート・キング、ジョニー・ウィンターといった大物面々の出演だった。
セントルイスはゲートウェイ・アーチという巨大なアーチがあり、これにエレベーターのような箱に乗って、一番上まで行ける。真下を見下ろせるが高い所の恐い私には非常に恐い場所だった。


シンシナティー・ジャズ・フェスティバル(1988年?月)

名前はジャズフェスティバルだが内容は真っ黒なソウル・ミュージック。真夏の夜8時頃から始まり、シンシナティー・レッズの球場の急な階段のような席に着くと、見渡す限りの観客席は黒人ばかりで真っ黒。私は知らないが黒人ソウルの有名どころが沢山出演。とりがスティービー・ワンダーで素晴らしい歌だった。途中で球場真上に急に花火が飛んだりと楽しいコンサートだった。帰りは夜2時頃に車で帰ることになり、眠くて途中でハイウェイを降りて、眠気覚ましのコーヒーを飲んだり大変だった。

ダラス・ブルース・フェスティバル(1992年8月?)

たまたまダラスに数週間仕事で、家族も一緒に居た夏、同僚二人も一緒に日曜日に出かけ、帰りにブルース・フェスティバルへ。野外ステージで芝生の上でビールなどを飲みながらのフェスティバルだ。出演者も結構良かったように覚えている。アルバート・コリンズも出ていたが、余りパワーがなかった。

その昔モンタレー・ジャズフェスティバルのときのアルバート・コリンズはノリノリだった。エレキを弾きながら会場へ降りて、歌いながら一周する。当然会場は大騒ぎになる。何が受けるかをよく理解した舞台運びだった。今でもアルバート・コリンズのレコードを聞くと、ブルース乗りになる。


シカゴのブルースバー

(1990年?)
アメリカ駐在から帰国後、当時の会社から2回程レキシントンへの出張のチャンスが合った。当然行き帰りはシカゴ経由。アメリカ人の同僚がシカゴのオフィースにいるので、面談スケジュールを作ってシカゴ泊。この同僚(黒人)と面談後、ブルースが聞きたいとゴネて、少々離れた町のブルースバーへ連れて行ってもらう。生憎良い演奏ではなかったが普通ではいけないようなバーだった。

シカゴに泊まっているので、当然街中のブルースバーでも飲む。しかし街中のブルースバーは観光色が強い。


(1998年5月)
その後もシカゴへは時々行くことがあった。
本当は町外れにブルースを聞きに行きたいのだが、何となく怖そう。日本からの女性同僚二人と街中のブルースバーへ。凄い数の客。演奏も良い。観光客が多く、演奏者は皆がどこから来ているのかなどと聞きながら、歌い、大騒ぎ。聞かれてもいないのに、ついでに東京からも来ているぞと言って、騒ぎに加わる。面白い演奏だった。

シカゴブルースフェスティバルの期間だと、ブルースバーを行き来するバスも運行していて、各店のパスのようなものも売っているようでした。

(ここでとりあえず投稿)
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by maida01 | 2004-08-06 13:29 | 音楽全般
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