カテゴリ:海外、特に米国( 92 )

フロリダの寿司バーでジャズ

aradasさんのフロリダ縦断旅行記③ - Six2Six @Miami Beach
を読んでいて、”Sushi Samba”、あーと思ったのですが、違いますね。

マイアミ・ビーチの北(かなり北)のHollywoodというところに、Sushi Bluesという店があります。
http://www.sushiblues.com/info.html
ケシャバン・マスラフというフリージャズ・ミュージシャンの奥さんが経営している寿司屋だそうです。
ライブも結構やっています。ブルースが多いようですが。

そのケシャバンが3月に来日する予定です。ブロー・タイプのテナー・サックスですが、
クラリネットも非常に綺麗です。


始めは、aradasさんの記事へのコメントとして書いていたんですが、長くなったのでTBにしてしまいました。
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by maida01 | 2005-01-10 19:26 | 海外、特に米国

初めての海外出張

メモ書きをWikiにアップしたら、結構見てもらっているので、当Blogへ持ってきました。

1985年12月の話しなので、ちょっと古いかな?

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当時勤めていた会社では、海外出張が褒美と考えていた。ある大きなプロジェクトが終了した時に、新婚早々で女房はお腹が大きいのに、12月に仕事としては初めて、同僚と2人で海外へ行くことになってしまった。

この数年前に、コンベンションのスタッフとしての香港へ出張に行っていますが、自分の仕事での出張は始めてでした。

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ノースカロライナ州ラーレー

アメリカで作られたシステムを日本で変更したので、この変更部分をアメリカの開発部門のプログラムへ入れに行った。2週間の仕事であったが、朝8時から夜10時ころまで、土日も働く強行軍であった。アメリカ人の同僚達からは、凄く働いている日本人が来たと噂のようであった。

一緒の同僚は前年までこの町ラーレーにいたので街を良く知っていた。そのため便利なアパート風ホテルや美味しいレストラン、町の見所などを楽しめた。田舎町なのにトップレスバーやアダルトショップなどもあった。朝から晩まで仕事していたのに、良くいろいろなところへ行ったと思う。黒人の板さんのすし屋さん、日本レストランと言うベトナム料理店などもアメリカならではでしょう。

泊まったホテルの部屋の裏に池があり、鴨が沢山いた。残ったパンなどをあげると、池の反対側にいた鴨までもが飛んで来て、恐いくらいだった。こんなことは日本やアメリカでも普通のホテルに泊まったら、経験できなかったろう。

朝食は何時も近くのマクドナルドでソーセージビスケット。同僚が大好きと連れて行かれたが、これが本当に美味しい。でも町によって味が違うようで、その後アチコチで食べたが、日本でもニューヨークでも美味しくなかった。ハワイでは美味しかった。

ラーレーは広い田舎町だが、会社以外は同僚が車を運転していたので、余り覚えていない。やはりアメリカは自分でレンタカーを乗り回さないと楽しめないし、後で覚えていることも少ないようだ。

2週間で可也な量のプログラム修正、テスト、ミーティング、ドキュメント作成、現地の保守チームへの移管などをこなした。始めての環境、コーディング・テスト方式、英語では良く出来た方のようだ。

ラーレーから次の町へ出発前に、同僚がお土産物や風な店へ連れていってくれたが、インドかどこかで作られた、真鋳のような象やなんやが、非常に安く置いてあった。こんな安い店は現地の人でないと知らないだろう。
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ケンタッキー州レキシントン

夕方にレキシントンへ到着。日曜日だったのだろうホテルでもお酒を飲めない。当時は日曜日には酒の販売・レストランなどでの提供も出来なかったようです。その後、日曜日の午前中だけダメとなったようです。

町中を車で回っても、初めての町で、夜中で、どこをどう走っているのか全く判らなかった。翌日、会社へ行って、幾つかミーティングを持ったが、1年後に、ここで仕事を始めるとは思ってもいなかった。

この時のレキシントンは、小さな奇麗な町だという位しか記憶にない。サラブレッドを育てている牧場が多い町なので、飛行機で上から見ると、緑いっぱいの町だ。
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ニューヨーク

良く仕事をした褒美だとのことで、私がニューヨーク好きなのを知っていて、上司が帰りに一泊ニューヨークへ泊まるように手配してくれていた。同僚はニューヨークには興味がなく、先に部屋で寝るとのことで、一人でジャズを聞きに出かけた。泊まったホテルが、少々北の場所にあり、何の加減かタクシーが全く捕まらない。しばらく立っていると、脇にいたリムジンの運転手が15ドルでビレッジまでいくとのこと。初めてのリムジンで、白タク。変な経験。

たった1泊のニューヨークなのに、あいにく良いライブはやっていなかった。ニューヨークでは何時も何かやってはいるが、良いものは何時もあるわけではない。
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by maida01 | 2004-09-05 19:13 | 海外、特に米国

海外生活では現地の生活を楽しまないと

e-Tetsu Blogの六本木薬物中毒事件と海外赴任リスクから

六本木で薬物で亡くなる人とか倒れる人の記事。驚いた。六本木と薬物は驚かないが、倒れる、亡くなる人も居ることに驚き。多分、薬物になれていない人々なのでしょう。普通の人にも手が出るエリアに出てきたことが問題なのですかね。
日本駐在の外国人(多分エリート)が薬物に手を出したようです。外人さんも日本生活は辛いのですかね。


アメリカに駐在していた時に、女房がアメリカ生活に合っているようで良かったねと言われました。海外駐在する人で、奥さんやダンナが寂しさなどから自殺などに至るケースが結構多いそうです。会社の先輩の奥さんもアメリカ駐在中にノイローゼになり、帰国してしまった人がいます。

我が女房も、アメリカ生活始めの半年は自分から外出することはありませんでした。理由は言葉です。アパートからでると、親切心で皆声を掛けてくれるので、それが負担になって外へ出なくなりました。昼間外出しないので、私が帰宅すると買い物などに一緒に出掛ける毎日でした。

こんな女房も、半年も過ぎ、車の免許を取って、車を手に入れると、毎日外出です。アメリカの田舎生活では車が必須ですが、逆に車があれば、どこへでも行けます。
女房の外出先は、主に日本人の知合いの先とか、一緒にカルチャーセンターなどです。田舎でしたが結構日本人が居たので、外交的な女房は、どんどん知合いを作って、遊びに出掛けました。

外交的な人には、慣れない社会でも適応は早いようです。

日本企業から駐在に来ている人々は日本人村を作って、日本と全く同じ生活を送っている人が多いようです。アメリカに居ながら日本語だけで足りる生活だそうです。英語も出来ないし、アメリカの生活も、友人もできない人々が多いようです。

私は幸い会社でも日本人は一人もいなくて全くアメリカでの生活でした。始めは判らないことばかりで大変でした。なんとか強く生きていく生活に慣れました。アメリカでは強くないと生きて行けません。誰も助けてくれない個人主義です。必要なことは自分で主張していかないと生きて行けません。反対にアメリカでは、回りの目を気にせずに、自分のやりたいことをやって生きていけます。自由な生活です。

折角の海外駐在の経験です、海外生活を楽しみましょう。日本では経験できないようなことが沢山あります。現地の生活に慣れて、友人も作って、あちこち出掛けてと、海外生活を楽しみましょう。

あー、またアメリカの田舎の生活をしたい。
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by maida01 | 2004-08-01 08:09 | 海外、特に米国

アメリカの知り合いの結婚式の招待状の結末です

アメリカから結婚式の招待状・・アメリカの習慣は?

以前書いたアメリカの友人の息子の結婚式の招待状が来た件の結末です。


カナダに居る共通の友人にメールすると、”何で俺には招待状が来ないんだ”とのこと。そう、日本からの贈り物が欲しかったんです。

このオヤジからの返事は、”日本から来れないのは判るから、日本風のお祝いを送れ”でした。日本風の物が好きで、単に日本からの祝い物が欲しかっただけです。デパートで日本的なお盆(皿?)を買って、ノシガミ(全く普通の日本式ノシガミ)に女房がカリグラフィーで名前を書いて送りました。お盆は高いものではなかったです(5,000円位?)。送料は結構高いと思います。重いのも、ガサバルものは送らないほうが良いようです。


以前、メールでURLが送られてきて、アメリカではWebで本人達の欲しいものリストから選択して、プレゼントを送るようです。
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by maida01 | 2004-06-23 13:14 | 海外、特に米国

キツイ出張だった(4ヶ月間1992年7月-11月)

以前Webに書いた旅の記録。凄い・ミステリアスな旅だったので、皆さんが読んでも面白いと思い、少々修正して掲載しています。

旅の記録が正確には判らないが以下のような日程だったと思う。

成田-ボストン/ウォルサム1泊
バージニア(2週間)
ダラス(3泊)
ニュージャージー(3週間ほど)
ダラス(3週間)
セントルイス(3週間)
ロサンゼルス(2週間)
ボストン(3週間)
デトロイト(1週間)
ボストン(2週間)

だったと思います。合計すると4ヶ月を超えてしまうので、何処かが多いようですが。

数週間滞在している場所では、車で1時間から3時間程のオフィースをあちこちと訪問していたから、気分的にはもっと沢山の場所へ行った気がします。


14年間勤務した大手コンピュータ会社を退社し、世界一のSIerの日本支社へ転職(1991年9月)。

入社後6ヶ月目くらいに、部長からアメリカへ長期に行く仕事があるが行きますかと打診される。断るわけがない。即YESで出張が決まる。通信事業向け営業部へのスタディの出張だけは判っていたが、どこへ、何のために、期間など、何も判らないという。

女房も子供を連れて移住すると言い出したが、実際にはアメリカをあちこち移動になりそうで家族は同行しなかった。
1週間とか2週間毎にいろいろな都市にあるE社のオフィースを回って、仕事を聞いて回るスタディ旅行だった。次にどこへ行くのかは2,3日前に知らされるという大変な旅だった。航空券と行き先の住所、訪問相手名、ホテル名、レンタカーの予約番号だけが教えられる。それぞれの目的も明確でない。大変な旅だった。まるでシークレット・エージェントのような仕事だった。次は何処か、いつ帰れるのか、何も知らされない。

1992年7月6日に日本を出発して旅が始まった。
初めの指示で日本からボストンへ。空港で運転手が私の名前を書いたプラカードを持って出迎え、ホテルへ連れて行ってくれた。1泊して、チェックアウトするのかも不明だったが、取りあえずチェックアウトして待つ。迎えの人がオフィースへ連れていってくれた。午前中会議、午後にワシントンDCの空港へ飛んで、バージニア州ハーンドンという所のオフィースへ。ここには2週間程いた。7月11日が私の誕生日で、土曜だか日曜だったので、車で遊びに出かけた。出掛けから帰ってきたら、メッセージのランプが点いていた。テレビでメッセージが見れるホテルだったので、確認すると、Happy Birthday from wife となっていた。英語で交換手に言われるよりも感激した。
仕事はあちこちの人々に何をしているかを聞きまわるだけ。ワシントンDCの中心街のビルの奥のほうにある、会社でロビー活動をしている部門へも話を聞きに行く。

次がダラスで3日程。たまたま日本から別な仕事で来ていた同僚と食事が出来た。

次にニュージャージで3週間。1週間後に子供が夏休みなったので、日本から女房、子供二人がやってきた。初め下の子が熱を出して、3日程遅れ、ニュージャージの空港に到着した時は上の子が車椅子で出てきてビックリ。成田空港に着いた時に風邪を引いてしまって、飛行機内でうなされて大変だったようだ。到着した時、本人は元気だったが。

次がダラスで3週間。2週間は非常に厳しいコンサルタント教育に出席。じいさん、ばあさんばかりの教育なのに、後半は発表のために毎日午前様。このダラスの終わりに家族は日本へ帰り、私はセントルイスへ向かった。

この5週間のニュージャージー、ダラスでの家族との生活は良い思い出だ。女房・子供は車であちこちと遊びまわり、子供はプール遊びなどにも充分楽しんだ。この5週間がなかったら、私の4ヶ月の出張は続かなかったろう。

3週間いたセントルイス郊外は、普通の田舎町あった。毎日ホテルから目の前の会社へ、夕方はモールで食事し、パソコン屋周り。週末にローカルの自動車レースを見に行く。目の前で大きなアメ車が疾走するのは迫力。
途中で3連休があり、昔住んでいたケンタッキー州レキシントンへ。金曜日午後早目に出発。7時間位かかるが、一人旅では3時間位で挫折し、途中のモーテルで1泊。久々のレキシントン、友人と話が出来たが、1日で充分。町を出る時は、2度と来ることはないだろうという思いで、涙が出そうだった。帰りも途中で1泊。

次がロサンジェルスで南カリフォルニア大学のセミナーに2週間出席。ベニスビーチの脇のマリナ・デル・レイという所のホテル。難しく大変な教育であったが、沢山のアメリカの電話会社の部長達との楽しい2週間だった。最後の日にはベニスビーチで1日日向ぼっこ。

9月末の未だ暖かいロサンジェルスから寒くなりかかっているボストンへ夜行便で飛んだ。朝5時にボストン到着。レンタカーでウーバンというボストン郊外の田舎町の会社所有のマンションへ。3週間ここに居て、1週間デトロイトへ教育出席。ここで雪になった。またボストン郊外で2週間。ボストンでも雪を何回か経験した。

デトロイトでは久々に叔母の家まで行く。アメリカへしょっちゅう来ていると叔母に会うチャンスも多く、何となく安心出来る。

ボストンでは会社のアパートに住んで居たので気も楽だったし、生活している感じがあった。ボストン周辺は小さな州が多く、ニューイングランド地方と言われ、ニューヨーク州の東側全体を指している。アメリカに移住者が初めて到着した地域で、歴史もあり、いろいろ見て回る場所がある。ニューイングランドはボストンを中心に1,2時間であちこちに行けるんで、暇な土日は車であちこち見て回った。北へ1時間も飛ばすと、キッタレーモールという巨大なアウトレットモールがあり、メイン州なので近所の小さなレストランでも美味しいロブスターが非常に安く食べられる。ボストン市内にもボストンティーパーティーを始め沢山の見る所があり、南に行けばケープゴット、メーフラワーの博物館、ジャズフェスティバルの始まったニューポートなどと見学に行く所が沢山ある。

やっと11月14日に帰国。良い経験だったが、永い旅だったし、会社からの支給が少なかったのでお金もかかった。


多分アメリカ人がやっても大変な旅だったのだろうと思う。普通は経験できないような旅でした。大変な反面、沢山の人から沢山の話を聞き、あちこちの町を見て、充分に楽しむことも出来ました。私を強くしてくれた旅でもありました。

(もっと文章の見直しが必要だが、面倒なのでアップ。おかしいところは後で直そう)

追記:
4Travelに同じ記事をworld66.comの地図を付けて投稿してしまった。地図付きのほうが面白い。
http://4travel.jp/traveler/maida01/album/10002413/?
2004/6/23
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by maida01 | 2004-06-07 11:25 | 海外、特に米国

アメリカから結婚式の招待状・・アメリカの習慣は?

アメリカの友人の息子の結婚式の招待状が来た。6月26日バージニア州ホット・スプリングスとなっている。
でも金も時間もないしな・・・・

この子の高校生時代から知っている。背が高く良い男だった。大学卒業後、オヤジと同じ会社(私の昔の勤務先)へ勤務。今では本社のあるNY州に近いコネチカット州在住。長野オリンピックが開催されているときに日本へも出張で来た。帰国前には我が家にも遊びに来てくれた。オヤジが日本に行ったら絶対に寄って来いとうるさかったようだ。

結婚は嬉しいのだが、アメリカの結婚式に呼ばれても行けないし、どうすれば良いのか?お祝いを送れば良いだけか?
アメリカの習慣が判らん。さてどうすべきなのか?友人にメールで素直に聞いてしまった。

確かに子供時から知っているが、わざわざ日本から行くほどでもないし。

この友人は、ケンタッキー州に駐在を始めたばかりの時に、ジャズ好きだと言って友人が紹介してくれた。それ以来仲良くさせてもらっている。あの会社を退社後にたまたまケンタッキーへ行く機会があったときにも彼に会いに行った。彼は年なので退職させられたが、また同じ会社でアルバイトとして働いている。たまにメールで話しているが、どちらかが死ぬまでの付き合いになるのだろう。


もう一人(一家)家族ぐるみで仲の良い友人が今はバンクーバーに住んでいる。ケンタッキー駐在を始めるときに日本の同僚からの紹介でいろいろと教えてくれて、以来親戚に近い付き合いだ。中国人なのでアジア系ということで双方に親しみがあるようだ。我が家の娘より少々年上の息子と同じ年の娘がいる。次ぎはこの息子と娘の結婚式がありそうだ。彼らの結婚式には行かざるをえないようにも思う。彼らからはUncle Macと呼ばれています。
(随分と歳を取ったものです)
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by maida01 | 2004-05-23 10:31 | 海外、特に米国

NYCのホテルで日本風宴会

大きな林檎の木の下で♪

NYCの売春婦達・・・良いな。から思い出した話。

その1:
昔NYCへ良く行っていた頃は、夜遅くホテルの前の立ちんぼと良く話をしました。お世話にはならなかったけれど。遅いので早く帰りたいから安くするからとか言われたが、NOだけ。その内に毎晩会うので、ハーイ。

その2:
毎年のようにNYCのジャズフェスティバルにツアーで行た。毎日夕方からジャズのコンサートかライブ、その後は飲み歩き。ホテルへ帰るのは明け方。
旅行会社の人とも友達のようでした。NYCで日本風の宴会をしたいなと思っていて、あるとき早めに12時前にホテルへ帰り、ツアーの添乗員の部屋(結構広い部屋でした)で呑んでいた。

酔っ払ったついでに、宴会にしようとツアーで一緒に人々の部屋へ電話しまくり。未だ帰っていない人も多かったですが、結構人が集まって、本当の宴会。嬉しかった、念願の宴会。

夜中に人もどんどん集まって、呑むものもなくなると、旅行会社のマネージャが酒を買いに外へ、帰りに黒人のオバさんを連れて帰宅(帰ホテル)。誰と聞くと友達。しかしオバさんは直ぐに椅子で寝始めた。

その内に外も白み始め、朝。この部屋は20階位だったのでしょう。窓の外は出勤のNYCの人が沢山歩いていました。良い景色。皆ベロベロに酔って疲れ、帰り始める。黒人のオバさんも起きて帰っていた。このオバさん、実は売れ残った立ちんぼさんでした。


昔、独身時代に毎年遊びに行ったNYCは楽しい町でした。ジャズと酒と夜の町。

その後、小さい子供を連れての家族で行ったNYCは違う感じがありました。暑い日差しの昼間のNYC。それも仕事でNJの山の方に泊まっていたから、殆どお登りさん気分。
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by maida01 | 2004-05-21 23:30 | 海外、特に米国

バスルームに滝が!!

洪水

アメリカのアパートでの経験。

何だか大きな音がするなと思って、奥の部屋のバスルームへ行くと、上から滝が!!
上の階から大量の水が落ちてくる。ドッドーという感じだった。

急いで上の階へ飛んでいくと、顔も見せずに何もしていないと言うばかり。
とりあえずアパートのメンテナンスに連絡。再度上の階へ行くと、また顔も出さずにご免お袋がバスの水を出しっぱなしにしたとの返事。(これだけ)

アパートのメンテナンスの人もヒドイなと言い、掃除かだか何だかで水を吸い取ってくれ、乾燥のために大きな扇風機も持ってきたと思う。
メンテナンスの人は上の階へ文句を言いに、且つ下の階への影響も調べに。本当に珍しいことだったようです。

幸い、荷物は何も濡れなかったんですが、告訴しようかと思ったほどです。本当にアメリカ人は顔も見せずに、謝りかたも通り一遍。日本だったら菓子折りぐらい持ってくるのに。

アメリカでは風呂の水は気を付けた方が良いですね。
(美味しいお菓子を食べそこなった。残念)
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by maida01 | 2004-05-20 13:02 | 海外、特に米国

アメリカ車の旅:駐禁チケット2つ

東海岸縦断ドライブ【番外編】

私の状況と似ていますね。LAのメルローズで駐車場がなくやっと住宅街にスペースを見つけて駐車。周りにも沢山駐車しているしOKと思って、ショッピング。1時間後位に戻ると、回りに車がない。変だなと思いつつ、帰途へ。I-405を南下。何か変だな。ワイパーの下で何かパタパタしている。あー、と思ったら、駐禁チケット。ハイウェイですから止められない。途中でハイウェイを下りて、止めて紙を取る。やっぱり駐禁チケット。

その後女房、子供は日本へ帰国。チケットをどうるるか。幾ら呼んでもチェックとマニー・オーダーしかでていない。どうするかと考えていたが、近くの郵便局代理店(?メールルームとかメールオーダーとか言う名前のチェーン店で郵便系は何でも扱っている)でマニー・オーダーを作る。確か15ドル。これを郵送して終わりでした。

後で何かの書類でクレジットカードでも支払えると書いてあった。クレジットカードで支払った方が簡単だった。

これは1999年8月のLA郊外での話でした。


続いて、1987年12月マイアミビーチにて。浜辺で砂浜でも見てみようかとパーキングメータの所で駐車。30分程の金額(50セントくらいかな)を入れて浜辺へ。5分くらい遅れて車へ戻るとチケット。初体験でした(痛かった:違うか)。
アメリカ生活6ヶ月ばかりで、どうすれば良いか判らない。やっとこさで警察署を見つけて罰金(確か10ドル位)を支払い。何か言われるのかと思ったが、あちらは”毎度”と言う感じで事務的に終了。

両方ともに写真とか領収書とか取っておいたと思ったが、今更見つからない。出てきたら、ここにアップします。

詰らん話でした。誰かの参考になるかな?
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by maida01 | 2004-05-15 13:17 | 海外、特に米国

シカゴのホテル

縦断ドライブ訪問地20 - Chicago, IL

aradasさんの投稿へのlovelynyさんのコメントで、また思い出した。

シカゴのホテル:

Fairmont Chicago:
 1998年にシカゴ北の本社で会議:翌週はオマハで会議:週末に新会社の女性の同僚2人が来る。たった1泊するのにシカゴ北の田舎に泊まる必要はないとシカゴのホテルへ移る。会社で秘書に予約してもらうとFairmontホテルではと言われる。あんな高級ホテルは、と言うと、会社の割引料金だから何処も同じような値段とのこと。
 凄いホテルだった。部屋の奥から窓を見ると、全てがミシガン湖。ミシガン湖の脇に小さなゴルフ場があってその手前。だから湖側はミシガン湖を一望。部屋も凄かったが、景色が凄い。ホテルではパーティとか結婚式とかあるようで凄い車が沢山止まっている。
 同僚を迎えて空港で頼んでおいた車へ、これがリムジン。私は前日に空港から電車で市内まで、駅からバックを引っ張りながら歩いてホテルだったのに。
 Fairmontホテルへの道が途中で狭く通りにくそう。
 まあゴージャスなホテルでした。でも翌週は寂しい田舎のオマハでしたが。

Marriott Hotel:
 レキシントンでもMarriottに何回も泊まったし、シカゴも自分の両親が来たときとか、女房のお母さんが来たときにも泊まった。一応高級なホテルです。コネクティング・ルームにすると年寄りと一緒のときは便利でした。このホテルは町の中心なので歩く距離でいろいろと楽しめます。

Executive House A Ramada Hotel:
 正確に覚えていないが、地図的にはこのホテルだと思います。シカゴの街中で有名なトウモロコシのようなビル、コーン・ビルの真ん前。このビルのオフィスで会議だったので取ったホテルがここ。外観もたいした事ないなと思っていたら、なんの間違えか最上階のスイートルーム。寝室が2つ(?)、広いリビング、キッチンとホテルの人に間違えでしょと聞いたが、正しいとのこと。コーン・ビルだけじゃなく裏側も見えて素晴らしい部屋。こんなホテルでもスイートは凄いと思いました。
 でもダブルキングサイズのベットに一人で寝るのは寂しかった。

シカゴで良かったホテルの話でした。
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by maida01 | 2004-05-15 12:26 | 海外、特に米国